田母神騒動

巷で噂の「論文」について現時点での考えをまとめておきます。

「論文」

件の文章を読んでみましたが、2chに書かれているようなことと同じです。
一般的な論文は、著者が考える理論の正当性を主張するために信頼するに足る文献を引用したり、史料を参照したり、インタビューでもいいかもしれませんが、事実関係を立証するために何らかの裏づけを行います。田母神氏も

我が国は満州朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。...
我が国は満州朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。...

と主張するために実例を挙げています。しかし、詳細にはふれず概要のみを述べているので結局何も論証できていません。田母神氏は学者ではないのでその分を差し引いても、思ったことを綴っている感が否めず「論文」というより「雑感」と呼ぶの方が適切である気がします。

文民統制

ブログの議論を見ると、マスコミが「シビリアンコントロールが乱れる」と騒いでいることに反感を持つ人も少なくないようです。じゃあなぜマスコミはシビリアンコントロールを問題にしたのでしょう。
日本のシビリアンコントロールの発端は、東京裁判で日本の政治が軍人にとって代わられたことが戦争の要因であると考えられたことです。「軍の規模を政治的に抑制することよりはむしろ,膨張する軍事組織を合理的に強化しつつ政治化しないように管理すべきである」(平凡社百科事典)というのが日本のシビリアンコントロールの目的です。そういう意味では自衛隊出身者が政治家になったり、政治家が自衛官なったりすることはないようなのでシビリアンコントロールは安定していると言えるかもしれません。ただそれとは別に、"黒いバス"のアジテーションや某漫画家と同じようなことを自衛隊のトップが言っているのだから不安に思う人は少なくないでしょう。

タイトル

そもそも「侵略」という言葉が戦勝国が敗戦国に対して使います。「賊軍」「虐待」と同じ類のものですね。日本が敗戦国であることは明白なので「日本は侵略国家であったのか」という疑問自体がナンセンスな気がします。

条約

体裁だけでも約束すれば「条約」になるし、合法だと思っている節があります。

日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

墓穴を掘っているように見えます。日韓協約が「圧力を伴う」不平等条約だったことを認めているようですが、朝鮮半島を併合したのは日本政府の野心であることを認めることになります。それが侵略なのでは?

また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。

植民地支配だということは認めています。しかも「標準的」とまで分析しています。
軍閥が乱立する上に支持基盤が弱い中華民国政府との交渉。しかも交渉の間に山東半島に増派して圧力をかけているので脅迫に近い合意ではないでしょうか。正当性には疑問符がつくのは当然です。

愚痴

いろいろ言いたいこともあるでしょう。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。

憲法があるんだから当たり前のことです。仕事の愚痴に近いですね。

日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。

日本がいい国になっているかというのは鋭い質問です。時代によって世相が変わるのは当然です。飲み屋か、ここは。

その他

つっこむのも面倒になってきました。

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

とんでも本ばかり並べられても「有力」だとは思えなっす。

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

いけないことだって分かってるんじゃん。お子様の理屈です。
ハル・ノートによる戦争突入について

しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。

言い方が本気っぽいので面白いです。
たしかにWikipediaでは「ハル・ノートの原案は、ヘンリー・モーゲンソー財務長官が18日にハルに示したものであり、それは更に彼の副官ハリー・ホワイトの作成による」もので、
「ベノナ文書で彼がソ連のスパイであったことが確認された」と記述がありますが、ハル・ノートがソ連の意図だというのはやはり飛躍です。

最後に

さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

数百万人が死んだのに戦争を肯定するのはやはり自衛官が軍人だからでしょうか。平和で豊かな社会でなければ誰もパソコンも自動車も作りません。
田母神氏の文章には戦争を繰り返さないための建設的な意見はありませんでした。それがいちばん残念です。