「靖国 YASUKUNI」

alt-native2008-12-08

mixiにでもレビューを書こうと思いましたが、大量になってしまったのでこちらに書き込み。
材料となっているのは刀匠刈谷氏へのインタビューと2005年8月15日の靖国神社の境内での光景です。映画やドキュメンタリーとしてのお世辞にもクオリティが高いとは言えませんが、主体的なコメントを削り、主張を隠喩する手法で作られている点は好感できます。ただ映像は鬼気迫り、刺激的で、上映に対する反対運動が起こっても不思議ではないと思ってしまう内容です。

内容の「齟齬」

靖国神社が戦前の空気を未だに保持している場所であることが全編をとおして主張されていますが、製作者の考える主旨が途中で変化したような節があります。推察してみます。
製作者はポイントとして「日本刀」をクローズアップしています。私が日本文化に馴染みのない外国人なら、こういった場所を題材にするなら「菊と刀」に目を通すでしょう。日本刀を取材することは戦前の日本を理解する有効な材料だと製作者は考えたかもしれません。そのために「靖国刀」に関する資料にあたってネタを拾ってメッセージ性を出そうとしたのは確かでしょう。製作者が日本刀をクローズアップしたのは、戦時中の軍人が日本刀を携帯したこともそうですが、刀が日本人の特徴を現していると考えたからではないでしょうか。
しかし、いざ靖国神社で取材をしてみると「刀」とか「天皇」とかそういったものにこだわりを持つ人々はいなくて、ただ「祭り上げる」人々がいるだけだった。それをコメントなしで「刀映像」と混ぜて編集したので、言いたいことがよく分からないドキュメンタリーになったのだと思います。最後はグデグデってことですね。
刈谷氏との肖像権問題も、インタビュアーの日本語が稚拙だったからではなく、主旨が変化したことが要因だと仮定すれば解釈ができるかもしれません。背景をふまえて映像を見れば刈谷氏が職人であり、イデオロギーにこだわりを持った人物ではないことは容易に察することができます。

モチーフ

全編をとおして「ユニークな」人々がモチーフになっています。前半は靖国に参拝する人々。軍服を着て参拝する老若男子はもちろん、黒いバスに乗っている方々、星条旗を掲げる外国人。こういった当日に現地に行かないと見られない映像がこの映画の「魅力」です。一方、後半は合祀排除を訴える台湾人と神道家、境内で靖国批判を行う若者など反対の立場の人々を撮影しています。

ご神体

御神体が刀だというのは初めて知りました。正確性にはいろいろ議論もあるようですが。もともと日本の神道はあらゆる物に神が宿ると考えますし、実際に多種多様な神様が全国に散在していることが神社巡りの魅力となっているわけです。だから「刀」がご神体でも全然おかしくないのですが、やはりそこは軍人を祭る神社だけあって日本古来の兵器を神体としているわけです。それだけでも「合祀をやめてほしい」と思う材料にはなるでしょう。

「英霊」..?

私の知る限り、日本古来の神仏習合に基づく宗教観では、人間は死ぬと「霊」となり、49日の法要を経て「仏」となります。以前から疑問だったのが靖国神社に祭られている「英霊」。前述の前提だと「日本を護った」彼らはまだ成仏していないのでは..?これは明治政府が国家統一のために国策として展開した国家神道の考え方に基づくからです。長い神仏習合の日本の歴史の中では特異な時期です。
原始の自然崇拝から派生した「カミ」信仰では、亡くなった人は魂(タマ)となって山頂や海にある神々の世界に行き、個性を失って祖霊と融合します(カミ)。明治政府は日本全国で宗派がバラバラで土着する仏教を排除、民俗次元の神を天皇が司祭する神にすりかえて、国民の宗教生活を統合するとともに天皇崇拝思想を定着させるために神道を国教と定めたのです。徴兵・派兵の理由づけのイデオロギーとして利用された側面もあります。神にもなれず、仏にもなれない「英霊」たちなのでした。

ねむいので結論

とても面白い映画ですがちょっと疲れてしまいました。政治を背景にした映画だから当然なのですが。
靖国神社とそれがシンボライズする思想に対しての考え方は人それぞれです。でもこんな映画が作られて世界の人々が見る時代なのは事実です。「外国人につべこべ言われる筋合いはない」という理屈はもう通じません。「血の気の多い人」もたくさん登場するので、少なくない外国人にこの映画が見られるのかと思うと恥ずかしい気分になります。せめて「まだ多くの日本人がこうなのか」と思わないでほしいと切に願います。