ソルジェニーツィン氏死去

タイトルは本文を端的に本文の内容を表していません。
(かといって関係ないわけではない..)

皆さんお気づきかと思いますが、
最近、大国があからさまに独裁色を強めています

洞爺湖サミットでもメドベージェフ大統領はブッシュ大統領と会談し、
外交初舞台にも関わらず東欧のMD配備について強く反対したとのこと。
去年からのプーチン路線を踏襲した形になります。

今週の月曜日の新聞では「鉱物資源 進む寡占化」として
ニッケル、パラジウム、プラチナの世界トップシェアのノリリスニッケル社に
ロシア政府からCEOが派遣されると伝えています。
火曜日の日経新聞でも
小麦などの穀物流通企業の株式を一つの会社に集約して「国有化」すると発表しています。
国外にいるスパイを暗殺したり、ウクライナにガス供給を止めたりと、暗い面も報道されています。

しかし、歴史を振り返ると、
ソ連時代から振り返ってみても、彼の国は中央集権・独裁国家の方が
国内が安定しているようにさえ見えます。
こんな時代になっても大統領が超強権をふるっている
"珍しい"国、ロシアの歴史を少し論じたいと思います。

ロシアが中央集権型統治になりがちな理由は18世紀まで遡る必要があります。
モンゴル帝国崩壊後に成立したちっぽけなモスクワ大公国は国土を急拡大し、
17世紀には東はカムチャッカ半島、18世紀にはフィンランドカフカスまで制圧し、
ロシア帝国が完成します。
結果、100の民族を統治する必要に迫られたロシア帝国は皇帝(ツァーリ)制を敷きました。
モンゴル帝国が同じく皇帝(ハーン)制をとっていても、
広大な国家を維持するために分権を進めたのとは対照的な手法です。
しかし、19世紀にピークアウトしたロシア帝国は衰退していきます。
しかし、太平洋・地中海両方で南進を目指した結果、日露戦争クリミア戦争で敗北し、
近代化が遅れていることが明白になった。
(両戦争は時代がかなり前後していますが)
大不況時代の20世紀初頭にヨーロッパは英仏独の睨み合い状態でしたが、
ロシアは国内統治に精一杯だったようです。
第一次世界大戦が勃発し、海外資本が引き上げたため、
モスクワは恐慌状態に陥り、クーデターによってロマノフ王朝が崩壊します。
代わりに成立したのはまだ"ちっぽけ"なソ連でした。
社会主義国家の成立を恐れた列強諸国は対ソ干渉戦争を始めます。
イデオロギー戦争時代の先駆けだったと言えるでしょう。
ソ連政府は軍事独裁体制をとり対外危機を乗り越えますが、
ロシアは折りしも食糧危機で1000万人が餓死したと言われます(!)。
ソ連のパラノイド的な対外恐怖症はこのときに醸成されたと言えます。
その後もソ連スターリンの指導の下、
対外的にはイデオロギー外交を、内政的には恐怖政治を展開します。
常に「国家が対外的な危機に晒されている」と唱え続けることで、
中央集権を維持したのです。
しかし、社会主義思想の風化によってポリティックパワーをなくしたソ連は、
20年前に崩壊しました。
その後も大半の領土を引き継いだロシア連邦が君臨しています。

20世紀の始めと終わりという世界的にも動乱期の間も
ずっと国家を駆動し続けたのは、やはり中央集権・独裁国家体制でした。

時代は変わり、世界が経済的な繋がりを深めた結果、
経済危機がグローバルに"ドミノ"するようになりました。
しかし、大国は"いつか来た道"を歩み始めています。
不思議ですが歴史が繰り返すのもまた定めかもしれません。

しかし愚かな行いだけは繰り返さないと誓う八月某日です。