中学受験の思い出2

先日のエントリで昔のバイトのときのことを思い出したので思っていたことを書きとめておきます。
私が講師として子どもたちと接していて一番懸念したのは、受験が彼らの精神に及ぼす影響です。
10〜15歳なんて遊びたい盛りです。昔は屋外で遊びまわることで身体も発達し、コミュニケーション能力を身につけるのが子どもの仕事でした。しかし、塾通いをしている生徒たちは、クラスの遊んでいる同級生を横目に遊びたいのを我慢して塾で勉強に打ち込んでいます。歪まない方がおかしいと思いませんか?
勉強が大好きで、私なんか遥かに及ばない素晴らしい成績を残す子もいました。競争することが好きな子。褒められたくて必死な子。大切な塾の友だちと頑張るのが好きな子。スポーツがしたくて志望校を目指す子。勉強して結果が出ることで成功体験を重ねていく中で彼らは成長していきます。目標校に受かることは大きな自信にもなります。
しかし、逆に競争が肌に合わない子もいます。中には頑張ってもなかなか結果の出ない子もいます。親御さんは一回受験戦争に投入したら後には引けずに「どこでもいいから受かればいい」と励まします。「挫折感を人生に残せば本人のためにならない」と塾も生徒をなんとか押し上げようとします。受験戦争に公立進学という"撤退"はありえません。ボロボロになりながら中堅・下位の学校に入っていく子たちを私も何人か見てきました。
もちろん彼らが大きくなって幸せになれないというわけではありません。しかし、秋葉原で人を刺した男性はどんな人生だったでしょう。おそらく早くから親のレールを走ったのではないでしょうか。「誰でもいいから殺したい」という無差別殺人衝動はえてして「親を抹殺したい」という本人が意識しない深層心理が表出したものだと聞いたことがあります。親は教育を行う義務がありますが、子どもたちの人生の責任は負えないはずです。
私は受験をしない小学生の授業も受け持ちましたが、普通に進学するクラスの方がが生き生きと勉強していた印象が今でも強く残っています。
別に受験を否定する気はありません。前述のように受験が人を育てる面もあります。受験が子どもたち全員を成長させてくれるとは限らないというのが私の思うところです。放任ならばいいわけでもありません。私は親になったことはないので偉そうなことは言えませんが、ただ一人一人に対してベストな教育があるのは確かです。それを見極められるかどうかが親として成功したかどうかを計る基準ではないでしょうか。