蒟蒻畑と消費者庁

こんにゃくゼリー規制論にネットはなぜ反発するか@NikkeiNet
藤代氏が「こんにゃくゼリー」の製造停止を受けてエントリを書いています。
タイトルは「なぜ反発」ですが内容からして正確には「なぜマスコミは蒟蒻ゼリーを叩くのか」です。知っていることと思ったことを書き留めておきます。

報道の現場には「公務員や大企業はバッシングしても当然、叩き得」といった考え方すらある。その一方で、国家に対する弱者である「市民」を批判することはタブー視されている。....
マスメディアに根強く残る「反権力」「市民派」といったステレオタイプなジャーナリズムの大きな問題は、人々の無責任と依存を生み出すところにある。

マスコミは消費者側の責任に言及したりしないので見ている視聴者である消費者には「心地いい」報道なのかもしれませんが、端から見ているとそれは消費者に迎合した偏向報道でしかありません。マスコミの信頼性は低下する一方です。Wikipedia偏向報道」では

未だに既存メディアによる報道を無批判・無考察なままに信用する人々も多くいる中、新興メディアのインターネット上においてもイデオロギーに影響された情報や信憑性に疑問符が付く情報を鵜呑みにし、影響されてしまう人々が数多くいる現状がある。情報が氾濫しメディアの多様化・双方向化が進む中でメディア・リテラシー教育の必要性が叫ばれている。

と記述されています。

冷凍食品の問題もこの範疇に入る気がします。
PL法でも認められているように商品の欠陥に対する責任はメーカーにあります。消費税を徴収している以上、政府も安全を保証する義務はあるでしょう。しかし、最終的に消費者の身を守るのは消費者自身です。
自分で作ったわけではないのだから鼻や舌、目で判断して、おかしかったら吐き出すなどするのが生活防衛です。そして、子どもを守るのも親しかいません。大切な人を亡くした人が傷つくのは当然ですが、水道から安全な水がでることのありがたみを忘れて企業や政府を攻撃するのは「成熟した消費者」ではなく「モンスター」です。

個人である消費者が資本=企業から自らを防衛するためにはどうすればよいかというのは難しい問題です。
産業革命によって資本主義が発展し、19世紀には世界各地に消費社会が出現しました。それに伴い消費者が出現し、消費者と事業者の取引に関する問題=消費者問題が発生するようになりました。昨今取り沙汰されている「食の安全」も消費者問題の一つでしょう。一昔前の市民社会でもある資本主義社会では、消費者問題に対する市民の主体的な運動=消費者運動が巻き起こり、陳情・不買・訴訟などの形で展開されていました。
また、消費者が資本=企業からの圧迫に対抗するために結成されたのが生活協同組合です。日本では1948年に消費生活協同組合法が制定されています。生協は戦中戦後のモノが不足していた時代に安全な食品を手に入れるための工夫された仕組みだったわけです。
しかし、現代はどうでしょう。いま日本で市民運動が巻き起こるでしょうか?確かに個人の判断で中国製品を避けている方もおられるでしょうが、安いから買う人も必ずいるはずです。「経済的合理性=安さ」で購買を判断する消費者がいるからです。しかし、それでは企業は商売がアガッタリにはならないので、企業側に改善を要求することになりません。かといって日本人はシャイなのでアメリカ人ほどすぐ裁判を起こしたりしません。だからたとえ不安やリスクが漂っていても解決には至りません。
従来は事業者=政財界寄りだった政府官庁は消費者運動の対象にはなりませんでした。政府に陳情しても何もしてくれないからです。しかし、最近マスコミなど(マスコミだけかどうか知りませんが)で行政の不作為に対する批判が続いたことで、政府も重〜い腰を上げて消費者庁なるものを創設すると言い出しました。消費に関する法律が農水省厚労省経産省など省庁がバラバラに所管してきた問題を解決して「一元的に」消費者も行政を行う省庁になるそうです。しかし、法律の所管が変わり、新しい省庁ができると既存の省庁は予算を減らされるので反発しているという話も聞きます。(「縦割り」弊害の被害者は消費者なのに予算(税金)のために反対しているとすれば卑怯きわまりないですが)
問題は消費者庁なる組織がどのように消費行動に介入してくるかと、事業者(兼納税者)と消費者(兼納税者)がどのくらいのコストを背負わされるかです。消費者庁まで設けて行政が面倒を見るというのだから消費税増税の格好のお題目です。消費者保護とはいえ消費者が箸を口に入れるまで国が面倒を見てくれるわけではありません。安全な商品を小売店に並べたはいいが品質保証コストで値段が上がればそれこそ消費者問題です。
我々は愚痴をこぼすくらいは許されるかもしれませんが、消費によって発生するリスクとそれを解決するコストを天秤にかけてどちらかが著しく重くなるようなことは避けるべきです。