Apr. 12, Mon.

社会

市民社会では、人々が口に出してはならない事柄が数多くある。米国の黒人の若者内でごく普通に話されている言葉を、白人が黒人に向かって使うと、まったく意味合いが違ってくる。少数派の人々のやり方や信念を嘲笑することは、多数派の人々の習慣や考え方に挑戦するのとは同じではない。
人々が誰に対しても言いたいことを自由に言うなら、人種的、宗教的多様性を持つ市民社会は崩壊してしまうだろう。問題は、どこに線を引くかである。法的に言えば、言葉によって暴力を引き起こすことを意図しているかどうかがポイントになるだろう。ただ非常に多くの変数があるため、社会的に絶対的、普遍的な原則を確立するのは不可能である。適切な限界はつねに試され、挑戦を受け、再確認されなければならない。

人々が既存の政治権力に対する期待を放棄してニヒリズムに陥ることをP・Fドラッカーは、その処女著作「経済人の終わり」で「大衆の絶望」と表現し、この「大衆の絶望」こそがファシズムを招来させる下地になったと指摘している。(中略)
驚かされるのは、この本が出版されて既に70年余が経過しているにも関わらず、ドラッカーが述べている当時の状況は驚くほど2009年の日本の状況に酷似していることだ。

自動車

「ほとんどのタイ人は、GMが破綻の危機にあることを知っている。だが顧客には、世界最大の自動車メーカーGMを、米国が破綻させるはずがないと説明している」と、あるGMディーラーは匿名を条件に語った。匿名にしたがるのも当然だ。本人が運転しているクルマを尋ねたところ、返ってきた答えは「日産車」だった。

ビジネス

消費者が高級ブランドのコーヒーを割高な値段でも進んで購入していると主張し、値下げに対して消極的だったのである。

確かに3年前までは高級路線は正しい選択肢だった。しかし、現在は正しくない。スタバが変わったというより、状況が変わったというのが正しいのではないでしょうか。しかし、常連客としては品質=味がどうなるか気になるところですが。

経済

ユーロは壮大な実験場と化している。

.....(苦笑)