"ファシズムの足音が聞こえる"に思う

うざい"言論"かもしれませんが、ちょっと思ったので書き留めておきます

日本政治の劣化と幸福実現党の野心@katoler

カンポの宿の売却問題に端を発する今回の騒動は、結局、無益な混乱だけを残しただけに終わった。単に混乱を招いただけではない、落札が決定していたオリックス不動産が購入を辞退して売却計画が白紙撤回されたことで、日本郵政の民営化プロセスも停滞を余儀なくされた。そもそも、バルクセールを前提としていたカンポの宿の売却について、その資産評価方法、入札のプロセス、いずれをとっても何の瑕疵も存在していなかった。

イタリアから帰ってきて鳩山氏が辞任していることを知りました。「まぁ遅かれ早かれ..」などと下衆な冗談も飛ばしていましたが、テレビを見てビックリしたのが鳩山シンパが多いことです。本当に世間の人は三井住友を建て直した(現在は賛否もありますが)西川善文氏よりも"失言"実績の二世議員を応援しているのでしょうか。
"宿"売却も合理的な理由である以上、口をはさむ権利があるとはいえ鳩山氏の主張は誰の目にも非合理的であったはずです。不況でどの企業も苦しいのに採算性も怪しい施設を買う余裕のある企業が多いはずもなく、オリックスが手を上げただけでラッキーなのに、宮内義彦氏への背任まで発展したのはもうよくわかりません。
結局誰が幸せになったのでしょうか。私はマスコミと鳩山氏だと思います。目立って知名度を上げたい政治家と目立つ人を担いで視聴率を稼ぎたい民放、お互いのニーズがマッチした結果がこれです。自民党が前回の衆院選で大勝したときもそうですが、スポンサー不足に窮したマスコミとそれを利用する政治家が多くなることは、それこそ"ファシズムの足音"であり、恐れるべきことではないでしょうか。

消去法的思考に支配される政治的ニヒリズムがこの国を覆ってしまい、ファシズム前夜といえるような状況が生まれている。

こんなことを考えてしまいました。
戦前の政治史は粗く分類すると
明治: 藩閥政治
大正: 政党政治
昭和: 軍部政治
となります。
※ もちろん歴史学科で近代史を学んだことがあるので正確性に問題があることは承知していますが、今はこう畳むと話がしやすいので聞き流して頂きたい。
飢饉と一揆どん底の慶応年間に権威を巧みに利用して軍事クーデターで政権を奪取した明治政府は、資金こそありませんでしたが「列強に追いつく」という高い理想がありました。戦後すぐの日本と似ていなくもないですが。その思想のもと、薩長土肥を中心としながらも徳川を含む各藩から人材を登用し、少数精鋭でスタートした明治政府は財閥とコネクションを築いて工業国を目指しましたが、結局19世紀を通して日本は小さい農業国家でした。
日清戦争日露戦争を通して徐々に産業の転換が進み、WW1を経て日本は先進国の仲間入りします。豊かになってきた日本政界は民主主義を志向しました。マスコミの発達によって実際に普通選挙(男性のみ)が実現され、思想の自由が認められるようになって政党が乱立しました。
現在我々が民主主義が政治の理想形であると考えているのと同様に、当時の政治家もそう考えていたからです。たぶん。大正デモクラシーという社会的なダイナミクスを表す言葉はそういう世相も表現しているのだと私は解釈しています。しかし、そのダイナミクスは昭和恐慌によってしぼんでいきます。プリミティブな資本主義のもとでは、リストラは過激なので失業者の増え方は現在より急激で膨大です。私は体験していませんが、貧富の格差が増大すれば治安の悪化も想像にかたくありません。映画K20で描かれたような感じかもしれません。
絶望や貧困が不信を生むことは普遍的であると歴史が証明しているのです。"身売り"という言葉は教科書の中でしか見たことがありませんでしたが、それが昭和期にリアルタイムだった祖父などと話していると、当時が荒んだ暗い時代であったことが伝わってきます。
現在、私も多摩川の近くで暮らしています。河川敷には"家なき人々"のバラックが多数あり、空き缶が詰まったゴミ袋を満載した自転車をこぐ人やゴミだか家財道具だか分からないものを満載したリアカーをひく人を頻繁に目にします。そんなとき私は自分の心が荒んでいくように感じられます。自分だっていつああなるか分からない。同じ人間なのにどうして。
そういうことを考えながら暮らしている私には、katoker氏の「ファシズム前夜」という評が変にリアルに聞こえます。
では「前夜」をこえるとどうなるのか。極端な例ですが、今の北朝鮮を思い浮かべると早いかもしれません。言論の自由は制限され、そうしてブログに自由なことも書けませんし、中国のようにYouTubeも遮断されます。しかし、多くの人がそれに抗議できません。思想警察に取り締まられるからです。それがファシズムです。
そうならないことを祈るばかりです。
私は自分が正しいだなんて思ったことありませんが、こんなことを考えていることもあります。