Jun. 21, Sun.

水曜日に帰国してから時差ボケを引きずっていて毎日、早く寝てしまっていたのでニュースがドッサリたまってしまいました。流し読みしつつ、気になったのは梅田望夫氏の騒動です。

ロボット

KHRに頭と手をつけただけで技術的に特別な点は見受けられませんが、これがどうして自然に見えるのか。おそらく顔の動きです。人間は手をつかって作業を行う場合、目線は手先を追います。しかもその目線は細かく動く手と連動します。モーションエディタでそれを忠実に打ち込んでいるのがいい仕事です。

梅田望夫氏発言

著書の名前だけは伺ったことはありましたが、恥ずかしながらお名前は初めて耳にしました。遅まきながら私なりに(=お金も時間もかけずに)嗅ぎ回った結果を書き留めておきます。

私にはそんなに大した記事には思えませんでした。先入観なしで読みましたが、インタビューアーの聞き方もゴシップ的だし、世間が狭い新入社員が社長に質問しているような印象を受けました。
彼は経営コンサルタントで、技術者でも研究者でもありませんからそんな熱にある弁が出てくるはずもなく。彼の言っていることはいたって普通です。しかし、多くの人が彼の口から「日本のWEBの将来」への希望を聞きたがったようです。どうやら彼の過去の著書に秘密があるようですが、とりあえずアンカテさんの評が私の気持ちを代弁しています。

梅田さんは、しっかりと資料を集め、吟味し整理し、練りに練った文章で力を発揮する人で、褒めるにしろ貶すにしろ、そういう力作を対象にすべきだと思う。今はサバティカルの時期でそういう作業をしてないんじゃないかという気がする。そこから垂れ流される愚痴にはあまり意味がない。誰にだって緩む時期があったっていいと思う。

この「残念」な状況を作り出した大きな原因は、はてなである。梅田氏が「バカなコメントが多い」といったように、実名の生産的な批判より匿名の悪罵のほうが圧倒的に多いことが「上の人」を萎縮させ、日本のウェブのレベルを下げているのだ。その結果、アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり、大手メディアに対抗する存在になりつつあるのに、彼も嘆くように日本のブログはますます劣化している。

はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者が reputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。こういう状態を改善することは、技術的には可能だ。せめて DiggSlashdotのように、発言を互いに(正にも負にも)評価して低ランクのコメントを隠すようにできないのか、と近藤淳也氏や伊藤直也氏にも言ったが、「検討する」というだけで何もしない。他人の迷惑によって利潤を上げるのが、はてなのビジネスモデルなのだろう。

辛口の池田氏は、梅田氏が非常勤役員を努めるはてなのビジネスが梅田氏の考えと矛盾している点を指摘します。"他人を罵倒する""低ランクのコメント"は排除すべきとバッサリ。池田氏のコメントにはこんな意見も。

>上の人にも問題あり
>イナゴごときに萎縮してしまう
毎日毎日、集団でカルトのような気持ち悪い連中にで「死ねばいいのに」と、はてなブックマークトラックバックで罵倒されて平気な人はいないですよ。
じゃあ見るな、と言うのなら、それこそそんな狂人たちのために、なぜ普通の人がそれを我慢しなくてはならないのかということです。
上の人だろうと下の人だろうと、そんな事をされればモチベーションが下がりまくるのは当たり前です。
そして、はてな以外のシステムではそれがきちんと制限されています。あまりに悪質な人間はアクセス禁止となります。
はてなには2chに負けないほど荒らしが多いですが、左派の荒らしは今までアクセス禁止された者はいません。
言葉の暴力くらい我慢できないのか、という前に、自分のイデオロギーにそぐわないと意見も言わずに言葉の暴力をふるう者、
通り魔のように、ストレス解消にネットで悪意を撒き散らす者こそネット社会には不要でしょう。
梅田氏が、日本のネットを知的エリートがもっと利用してほしいと望むのなら、はてなでそれら悪質な連中を制限するシステム改善を行う必要は誰が見ても当然かと思います。

たしかに個人攻撃を行うコメントがはてブに見られるのは事実ですが、書き込みを行う人間を「悪質な連中」と切り捨てるのではネット上の「言論の自由」は封じられてしまうでしょう。

梅田氏の著書や発言を読むと、選ばれし知的ネットエリートによる「革命待望論」があるように見える。しかし、日本も変化しつつあるとはいえ、米国ほどには社会が階層化されておらず、教育レベルの高い中間階級が政策立案や企業活動や支え、中高年が年功序列で意思決定を握っている。

エリート主義は池田氏のコメントから伺うことができます。
藤代氏は梅田氏の述べる"上下"を世代で解釈しようと試みています。

新たなメディアは従来の枠組みや序列といったパラダイムを変化させる力があるだけに、中高年にはネットに参加するメリットが少ない。既存メディアとともに既得権益を守ったほうが得だからだ。一方、ネットの「大衆」は40代以下が中心で、従来のコミュニティーから締め出された人々も少なくない。このような世代間対立を内包した日本のネットの状況を解きほぐさなければ、ネットを知のインフラにし、日本発のサービスを世界に展開することはできない。

どうやら梅田氏の考えをどうこう言ったところでブレイクスルーは近づきそうにありません。