捕鯨問題について考える(1)

先日、捕鯨船の船員が鯨肉を持ち帰った件がマスコミでちょっと取り上げられましたね。でもお粗末な後日談があったようです。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b889ea2c7fa9dbc452c9c06a9720c5e5
そういえば、この間"シーシェパード"っていうファナティックな人たちが日本の捕鯨船の邪魔をして日本のマスコミではその行動がマスコミでちょっとだけ取り上げられましたよね。何で捕鯨に対して強硬に反対する外国人がいるんでしょう。ちょっと考えてみました。
日本人は江戸時代から鯨を食用に捕獲してきており関西を中心に食文化が発達しました。魚を食すことに関してはかなり工夫をしてきた日本では「脂皮,内臓,軟骨部などまでが利用される」(平凡社百科事典)とのこと。
そもそも捕鯨が問題視され始めたのは19世紀と結構歴史は古いようです。鯨油は「灯火用の燃料油、ろうそく原料、機械用潤滑油、皮革用洗剤、マーガリン原料など多様な用途」(http://ja.wikipedia.org/)があり、石油が発見されるまでの近代的生活に必要な資源だったことから1850-1930年代まで盛んに行われるようになりました。しかし、石油生産が拡大するとともに鯨油の生産は減少します。さらに第二次大戦によって捕鯨船が世界的に減少したことで漁獲量も減少します。
戦後、国際捕鯨取締条約の批准国が増加することで捕鯨は資源ビジネスではなく、主に食用に転じるようになりました。1980年代にアメリカで巻き起こった反捕鯨運動は、1982年にこの条約組織である国際捕鯨委員会(IWC:InternationalWhalingCommission)が商業捕鯨の全面禁止を加盟国に求めたのに対して、日本やソ連がこれに反発したことに端を発しています。
しかし、時期を考えると、この運動が乱獲で減少した鯨を守るためだけではなく、形を変えたジャパンバッシングであったと想像してしまうのは私だけでしょうか。現在の世界の鯨の生息数は多少のバランスのずれはあれども安定しているようです。
鯨は古くから信仰の対象になってきました。鯨は沿岸部にも出没することから、日本はもちろん世界の海洋国でシンボライズされてきました。人間がちっぽけな生き物であることを見せつける鯨は宗教的な畏敬や恐怖の対象となり、特にキリスト教ではヨブ記、ヨナ書で登場するそうです(平凡社百科事典)。日本人には鯨に対してそういった感覚はないように感じます。そんな背景が理解できていないと、日本人は「何で鯨を保護するの?」ってなっちゃうのかもしれません。私は西欧文化に詳しいわけではありませんが、でもオーストラリアやアメリカといった諸国には鯨に対する特別な感情があることを理解することは役に立たないことではないと思います。
では現在の捕鯨反対運動の根拠は何なのでしょうか?って長くなるから続きはまた次回に。。3回くらいかかりそう。