親子関係を壊す「しつけ優先主義」について思う

親子関係を壊す「しつけ優先主義」@日経BP
他の人も思っているようですが、どうも違和感を感じるエントリです。私が問題を感じた点は以下の点です。

  • 教師と親の視点を混同している
  • 「叱る」と「怒る」を混同してる

(1) 教師と親の視点の混同

先日、東京駅で小学校高学年の男の子と低学年の女の子を連れたお父さんとお母さんを見た。どうやら、男の子がキップをなくしてしまったようで、改札の中で半べそをかきながらポケットを探しまくっている。お母さんと妹は既に改札の外に出て待っていた。お父さんがしびれを切らしたように、「何をしているんだ!! だらしない!!」と男の子を怒鳴りつけている。焦った男の子は泣きべそでポケットをひっくり返しているが、見つからない。わたしはこの光景を見て胸が痛くなった。見るからに楽しそうな家族旅行なのに、たかがキップ1枚で台無しだ。

数日前には、駅で男の子を連れたお父さんがチラシのような1枚の紙を子どもからひったくって、投げ捨てている光景を目撃した。一緒に遊びに行く途中なのか分からないが、子どもは驚いたような顔をしている。「そんなチラシを持ってくるな」という意味なのだろうが、なぜそんな乱暴なことをするのだろうか。子どもがどれだけ傷つくか分かっていないし、不要なものなら路上に投げ捨てていいと教えているようなものだ。

確かに心は痛みますが、彼が出くわした光景はよく見かけます。
子どもに対する注意方法にはいくつか組立てパターンがあると私は考えています。勝手に名前をつけると以下のような感じです。
1) 完全命令型 :「やめろ」「あーしろ」「こーしろ」
2) 命令→理由・理屈型 :「やめなさい。だって〜でしょ」
3) 理由→命令型 :「〜だから、やめなさい。」
子どもは経験則もなく論理的思考に慣れていないので「理由・理屈」のみでは理解してもくれません。で、この著者は1番パターンを嘆いています。

そのお父さんはひょっとすると、長男をしつけているつもりかもしれないが、そうしたやり方で子どもがしっかりすることはあり得ない。わたしの教師体験を通じて、それは断言できる。

理屈を説明しないと子どもは考えることをやめて委縮するし、反発を招くだけだという意見です。しかし、これらのシチュエーションに限っていえば、親は「主義」を持っているわけではないと思います。イラついたから声を荒げた。それだけでしょう。当の親はそれほど「教育」とは認識していないはずです。もちろんそのこと自体は問題ですが、それに対して教育がどうこうというのは的外れな気がします。
親は完璧な人間ではありません。親は教師と違って子どもと一緒に生活しています。この著者に家族がいるかどうか知りませんが、子どもの行為にイラっときたり、我慢を要するシーンはたくさんあるはずです。教師は子どもの前に立つときは常に「教育者」なので、何をするにも「教育」の観点がついて回るのでしょうが、その観点を親の行う教育と取り違えてこういった議論になってしまうのでしょうか。

だが、日常生活の中で、細々したミスや失敗などの一つ一つを、声を荒立てて感情的に強くとがめる必要があるはずがない。しかるのではなく、穏やかに諭す、上手に言って聞かせる、優しく注意する、やる気になるように啓発する ―― これらのことが大切なのだ。

子どものミスにいちいちキレてる親は確かに「諭す」という行為を覚えるべきですが、この著者はそんな短気者向けにこのエントリを書いたのでしょうか?だとしたら議論の余地もないエントリですが。

(2) 「怒る」ことと「叱る」ことの混同
著者は同一の行為と認識しているようですが、私は教師経験から「叱る」と「怒る」が違うと考えるようになりました。
「怒る」は感情を吐露することであるのに対して「叱る」は戒める行為です。不愉快な行為をした子どもに対して自分の感情をぶつければ建設的でない言葉をぶつけることになるかもしれません。第三者の視点や理性をもって行動することを求めればそれが教育かもしれません。しかし、それは大人目線の話であって、どちらがその子に最適な対応であるかはその子次第です。怒られてただ凹む子もいれば、「大人はこれが嫌なんだ」と痛感する子もいます。理屈で説明して納得する子もいれば、理解できない子もいます。理屈で理解できないから怒鳴れとは言いません。しかし、この線を引かずに「怒る親=無意味な躾」と判断するのは画一的です。
そして親はえてして本人も気づかないうちに「怒る」(=感情)と「叱る」(=理性)を同時に行います。前述の父親は自分がさっさと行きたいからもたつく子どもを咎めただけ、子どもが不要なものを持ってきて始末が面倒になっただけで、躾の要素は全くないはずです。それをあげつらったところで説得力がないのではないでしょうか。

確認しておきたいのですが、子どもを叱ることができるのは親だけだということです。特に現代では。「嫌われたくない」とか言う親は論外です。

(3) 著者について検索してみると..
著者の親野智可等氏は教育関連の書籍をたくさん書いているようです。「教師としての経験・知識・理解・技術を少しでも子育てに役立ててもらいたい」という心意気は素晴らしいですが、著書を見ると

  • 『「親力」で決まる!』
  • 『「プロ親」になる!』
  • 『「ドラゴン桜」わが子の「東大合格力」を引き出す7つの親力』
  • 『「叱らない」しつけ』『「楽勉力」で子どもは活きる!』

あ〜題名から判断したくありませんが、残念ながら視野は狭いようです。