映画「エンロン」みました

映画館でも見ましたが、その当時は意味をよく理解していませんでした。今回復習がわりに鑑賞して改めて勉強になりました。とりあえず内容をメモっときます。
プロローグ
エンロンは2002年に破綻したエネルギー卸売り大手である。700億ドルの資産を持った会社がたった24日で破産したスキャンダルは何だったのか?映画は同社幹部であるケン・レイ、ジェフ・スキリング、アンディ・ファストウらが自社株を売り抜けて議会で尋問を受けたことと合わせて、「複雑な金融取引が問題だったのではなく」人間たちが起こした事件であることを主張してから始まる。そして、男が車庫から自動車を発進させ、しばらく走らせたあと停車し、車内でピストル自殺を図る。
Kenny Boy
ケン・レイはエネルギー規制緩和を訴え、内務長官補佐を務めた経済学博士であった。そして1985年にエンロンを創業、パイプラインの買収で拡大していった。そして高額の政治献金を行い、ブッシュ大統領一家とも深い親交があった。1987年に子会社のエンロン石油で巨額の先物取引を介した横領事件が発覚。トレーダーと子会社社長は罪に問われる。しかし、グループ内で利益を上げていたのはエンロン石油のみであった。
A Man With A Big Idea
ジェフ・スキリングはエネルギー流通を自由化し、金融商品のように取引できるようにするという、エネルギー市場の流通改革を唱えた。実際にそれは画期的なアイディアであり、多くの企業に影響を与えた。将来発生することが期待される利益を会計に計上する「時価会計mark to market」を提案。しかしそれは「主観的」で不当な会計操作を可能にするものだった。
彼自身はハーバード大学出身で非常に優秀だったが、ときとして「リスクを管理していると言いながらギャンブラーの側面があった」。カリスマ性を持つ彼の「マッチョ志向」がエンロンの社風となっていった。全社員のうち人事考課で評価の低い10%を解雇するPRCという制度を導入。結果、弱肉強食の「攻撃的な文化」が作り上げられた。その頃、エンロンは自由化されたエネルギー市場にオンライン取引を導入し市場を席捲した。
Guys With Spikes
エンロンには幹部を支える優秀な人材がたくさんいた。バクスター(後に自殺)、ルー・パイ、ライスなど。特にルー・パイはエネルギー・サービス部門を統括し利益を上げたタイミングで、2億5000万ドルの退職金を得て退社したが、実は部門は10億ドルの損失を出していた。
Love Me, Love Me
アメリカの好景気時期。90年代を通して株価は上昇を続けた。ストックオプションを持つ社員のモチベーションを刺激するため社内に株価を電光掲示したりした。またアナリストを味方につけてロビー活動を展開、企業の先進性をアピールした。企業のキャッチフレーズは"常に疑問をAsk Why"。プロパガンダを展開することで株価は倍倍ゲームを継続した。
しかし、その裏で世界プロジェクトに失敗していた。まだ需要のないインドに発電所を建設しようとしたが頓挫。さらに国内の電力市場に参入。自由化されたカリフォルニア州で事業者となった。
Love For Sale
当時のアナリストは多くがエンロン株に"BUY""STRONG BUY"の評価をつけていた。疑問を呈するアナリストに圧力をかけた疑惑もある。損失を出しながら、ドットコムバブル全盛の中でISPにも参入。しかし、システムに問題があり損失の露呈は時間の問題になっていた。幹部は続々と株を売却して利益を得た。さらに天候リスクを金融商品として取引するビジネスも発表したが、そのアイディアは誰もが疑問を持つものだった。マスコミ発表でもスキリングは問題を認めず、「氷山への衝突」は近づいていた。
The Emperor Has No Cloths
そしてドットコムバブルは弾けた。2000年当時、しかしエンロンはエネルギー企業としてさらに注目を集め、フォーチュン500にも選ばれることになる。
しかし、「エンロンの収益構造はブラック・ボックス」「エンロンの利益は何なのか?」という疑問に「誰も答えられなかった」という。最初に疑問を呈したのはフォーチュン誌だった。アンディ・ファストウは「特別目的事業体SpecialPuposeEnterprise」の責任者だった。SPEは"飛ばし"の対象であったが、このカラクリは会計監査にも承認されていたのでまだ気づくアナリストはまだいなかった。
The Sourcerer's Apprentice
アンディ・ファストウは損失を利益に計上するため「魔法使いの見習い」だった。300億ドルの損失を隠す"資産の証券化"を担った。SPEは情報開示の必要がないのでそのカラクリは目に見えなかった。またファストウはエンロンCFOでありながら、"私物化"したSPEの一つLJMから巨額の報酬を受け取り、SPEへの投資を呼びかけていた。投資家は彼がエンロンCFOであることを信用していたが、本来は別企業体であるSPEの利益を主張することで投資を勧誘するのは利益背反行為であった。「失敗するのが難しい」と言いながら。
Useful Idiot
「弁護士事務所も公認会計士も金融機関も"ノー"と言わなかった」ことに問題があった。アーサーアンダーセンには顧問料として大金が支払われていた。JPモルガン、メリル・リンチ、シティなど主だった金融機関が議会に召還されている。1999年、メリル・リンチはエンロンから船舶を購入。その後エンロンは買い戻しを行っている。資産をエンロン会計からはずしていたのである。諸金融機関はエンロンの会計操作に加担していたことが後に明らかになる。
Ask Why, Asshole
2000年頃になるとスキリングは勢いを失っていた。電話会見でエンロン貸借対照表を公表しないという記者の質問に対して"Thank you for your appreciate, ASSHOLE.."と答えてしまう。エンロンは大きな壁に突き当たった。
Kal-ee-'for-nyah
エンロンの"新戦略"はカリフォルニア州計画停電だった。十分な供給能力があるにも関わらずに。1996年に規制が緩和されたカリフォルニアの電力市場はエンロンにとって「実験場」であった。エンロンのトレーダーが供給電力を商品としてトレーディングし、電力を一旦州外に販売し、価格が上がったところで州内も戻すという取引だった。さらに発電を停止することで価格を吊り上げる操作も行っていた。これによる利益は巨大だった。倫理的な問題はさておき。
利便性を不当に奪われ、つり上がった電力価格を払ったのは市民である。州政府は権限を集約して事態の収拾に乗り出したが、大統領にジョージ・W・ブッシュが就任し、事態の改善は難しくなった。レイはブッシュ政権に働きかけて電力価格の上限を取り入れる政策をやめさせた。議会の圧力で電力価格上限制度はやっと導入された。
The Ship is Sinking
2001年8月14日、突然スキリングがCEOを辞職。エンロンの破綻はもはや公然の秘密だった。彼の行為は「逃避」だったと非難された。
Jeffrey Has Left the Building
S・ワトキンスは2001年6月からバクスターに代わりファストウの下で働き始めた。すぐにSPEとエンロンの複雑な仕組みについて悟った。SPEのバランスシートの不安定はすべてエンロン株によって"保証"されていた。価格が下落しない前提で。彼女はレイに警告していた。彼女は一人でエンロンの不正を一人で告発することになる。そして9.11の直後、証券取引委員会の調査が入る。大幅な損失が明るみに出る。レイが「問題はない」と呼びかける間、アーサーアンダーセンは証拠の隠滅を図っていた。ファストウは4500万ドルを着服したとして解雇されている。ファストウが審問で背任行為について黙秘したことで彼は"犯人"になったが、"共犯"は数かぎりないと思われる。彼は詐欺罪で起訴されている。
It Was A Woderful Life
2001年12月、エンロンは倒産し、従業員は解雇された。一般社員の年金口座は凍結。「この街には今も怒りと絶望が漂っている。まだカウンセリングが必要な家族も」「この事件は他の企業破綻と違う点は知性と狡猾さが引き起こした点である」スキリングはインサイダー取引や株主への詐欺罪に問われ、レイも詐欺罪に問われている。アーサーアンダーセンは倒産している。
「客観的事実。2万人が失職し、保険を失った。平均退職金:4500ドル。最高幹部たちへのボーナス総額:5500万ドル。2001年の退職金基金は12億ドル、年金基金は20億ドルを喪失している。幹部による売り逃げは1億ドル。」
最大の教訓は「常に疑問をAsk Why」